大分のリフォーム・増改築、塗装、防水、エクステリア・外構、耐震補強工事……自然素材を生かした空間づくり

有限会社 北斗建装

自然を生かした空間づくり  

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以前、ある地方のミニコミ誌から、当社の事を記事にしたいとの依頼があり、(お客様からのご紹介でした)代表の小原がインタビューにお答えした事があります。
結局、このミニコミ誌では、ある都合から未掲載という事になりましたが、当社の考え方や、姿勢を示した内容になっていると思いましたので、記者の方の了解を得、ここに掲載させて頂きました。
小原社長
有限会社 北斗建装
代表取締役社長
小原 由正
Q1, リフォーム業を始めたきっかけは何でしょうか?

そうですね。そもそも、建築を志す人でリフォームから、始めようという人は殆どいないでしょう。

私は昔から、人が生きていく上で「食と住は特別なもの」という考え方を持っていました。それはシンプルに人々の手にあり、尊重されるべきであると考えていたのです。

一概に言い切れない部分はありますが、一部の人間の利潤追求を目的とした、大量生産・大量消費の流れは、私たちの手から「食」と「住」を奪い取ってしまいました。ブラックボックス化された生産過程や細かい分業化により、一人の人間が「私が生産した」と胸を張って言えるものが一体、どれだけあるでしょうか。責任の所在さえあやふやなものが多すぎるように感じます。

私は食と住に関して、それは危険な事だと感じます。

「本来、人が住まう「住宅」は、地元の大工さんが作り、それを最後まで見届けるという血の通ったものでした。」

その地域の特性を熟知し、施主の生活状況を把握し、一軒一軒丁寧に作られていました。家は一品現地生産品であり、同じものは二つとないはずです。家族の数だけ、その家族の個性があり、生活の様式があるからです。

建てた後も、雨漏りがすれば修繕し、棚が必要になれば作ってあげる。リフォーム業なんて必要なかったと思います。

大手企業が参入し、分業にしてしまうには、無理があるのではないでしょうか?

もちろん、それまでの職人文化にもいくつかの弊害がありましたが、良い意味での職人文化も画一化された大量生産・大量消費により、抹殺されてしまったように感じます。

今から30年前、私は東京都内の大学を卒業後、大手総合資材メーカーに就職をしました。いわゆる「団塊の世代」第一陣、地球規模での資源の枯渇が叫ばれる時代でした。そのなかで、やはり「家」を作ることに関わりたいと真剣に考え、様々な会社を比較検討した結果、比較的まともだと感じた大手ハウスメーカーのN社に転職する事を決めたのです。

当時、プレハブ工法創世紀、工場生産された部品を組み立てることによって、コストの軽減と、品質の一定化を図れるとの触れ込みでした。
その業態に疑問を持ちながらも、私は5年、N社で施工と販売に携わりました。どこか、お客様と私と会社の繋がりを信じたいとの想いがあったのだと思います。また、組織の中で、私の考える家作りが実現できるとの自負もあったかもしれません。

結果は、やはり、まったく安くもならないし、本当に良い家は建てられないという答えに辿り着いてしまいました。大手メーカーが介在し、大量生産をする事が、メーカー側の利益には繋がります。が、販売のコストや本部経費等が、当然、製品価格にも反映され、更に利益が上乗せされますから安くなるわけがないのです。

また、従来の直接施工をする地元の工務店は、強大な販売力とマスコミや看板の力を利用した大手メーカーに仕事を奪われ、“実りの無い下請け会社”にならざるを得ず、結果的に商品としての粗悪な家を大量に生み出してしまいました。

私も、N社では月に平均1.7棟の受注を受けていました。お客様が一生住む家を、一人の人間が話を聞き(お客様は専門家として見てくれるわけですが)1週間、ないしは10日でプランニングを仕上げ、そのシートが設計部門に回され、法規的な面を確認後、設計図が出来上がる。
それを元に、月に何件もの現場を抱えた現場監督が、事務的に管理し、効率だけを考え、下請けを酷使します。 完全な分業の中で、血の通わない家が立ち、お客様も、それに満足さえしていました。

その会社のあり方にも、正直に言うとお客様にも、不信感が募り、私が考える家作りをするには自分で会社を作るしか無いとの考えを持つに至ったのです。

しかし、独立しても、私が考える「新築」を建てて生活していくというのは、殆ど不可能に近いものでした。どうしても、新築をメインにすれば、月に2〜3棟建てないと、会社として存続し得ないのです。そうすれば、自ずとプランニングの時間を短くするしかありませんし、その家族に適していない、あらかじめ決められたプランをいくつか用意し、それを無理矢理勧める様な事になってしまいます。

家を建てると言う事は、私達とお客様で「無」から「有」を生み出す作業ですから、当然、かなりの時間を要します。新築工事は、本来、ひとつのチームで1年に1〜2件しか出来ない仕事だと思います。多くの利益を生み、より分業化が進む「ビジネス」としては、成り立ちにくい仕事だと思います。

その点、増改築、営繕に関しては、お客様が長年、実際にその家に住まい、不具合な点や気に入らない点を、実感していらっしゃるので、比較的、早く対応ができます。
ここのこういう点が不便なようですから、このように工事を進めましょう、といった様に。

「まだ、リフォームという言葉も無い時代でした。
高度経済成長を経て、バブル経済期に入ろうかという時代でしたから、家なんて建て直せば良いという風潮もあったように感じます。
私は、そのような時代はいつか終わるだろうと考えていました。」

 

家族が守られ、生活の基盤である家をモノとしてでは無く、場所として慈しむ時代が還ってくるのではないかと。
それまでの経験から、現代の住宅に関する欠点は知り尽くしていました。そこで、どこの会社も見向きもしなかった、「増改築・営繕」の専門職として、東京・多摩に小さな工務店を始め、現在の北斗建装に繋がっているわけです。 

Q2, 昨今の建築業界(リフォーム業界)にどのような意見をもっていますか?

新築工事から出発した地元大手ハウスメーカーの工務や営業マンは、ほとんど自社の工法しか知りません。
私は大手ハウスメーカーN社勤務時代、少なくとも10社程度の他社工法を詳細に調べ、その中で最も「ベター」なものを探し、徹底的に比較しました。今でもその姿勢は変わりません。

お客様に勧める限り、他社と比較する事は重要だと考えます。

 

現在、厳しい就職難の中、多くの若者が何倍もの競争をくぐり抜け、大手ハウスメーカーに就職します。マニュアル化された社員教育を受け、自社の製品を良い製品ですと言い切りますが、他社の製品を知らないのに(比較すらしていないのに)、どうしてお客様に勧める事ができるのでしょうか。

様々な角度から比較検討し検証することにより初めて、そのモノやサービスの優劣を決める物差しになります。

疑問すら感じないその現代的な在り方に、私は恐ろしささえ感じます。

現在の新築に限らず、建築工事では100社あれば100の工法があり、お客様にとっては、ますますわかりにくいものになっています。

私は好奇心旺盛なものですから、新しい工法が出る度に確認し、理解しようと試みますが、存在理由さえわからない工法が非常に多く、閉口させられます。長年、真剣に建築を見続けた私ですら、そうなのですから、まして素人のお客様にわかるはずがありません。

マニュアル化された営業マンや工務社員がお客様から見ればプロになります。我々の仕事はお客様に理解して頂く事が最も大事な事です。

自社の商品やサービスを本当にお勧めするには、他社と比較し、自社の良い点と悪い点を把握する事が必要でしょう。

「あなたを信用して任せるよ」業者を決める際に、良く聞くお言葉です。
しかし、これは大変失礼な言い方ですが、お客様の思考停止ではないでしょうか。もちろん、責任はお客様にはありません。本来はシンプルな事を、専門用語を並べ立て、複雑でわかり難くしてしまう業者の責任なのです。
このような、住宅建築業界のビジネス偏重傾向がもたらす弊害は30年前よりひどくなっています。

ひとつの例として、開発業者が「建売住宅」が儲かると聞くと、建売販売に参入し、しばらくしてお客様が高級志向になり、建売販売ではあまり儲けが出ないと判断すると「注文住宅」を始める。
人口減少や不景気拡大により、新築数が減少すると、リフォームにしかビジネスチャンスは無いとばかりに、こぞって参入します。

そのような開発業者の目は常に「ビジネス・儲け」に向き、「お客様」には向けられていません。

言葉巧みに受注し、下請け業者にほぼ丸投げしてしまいます。
又、新聞紙面を騒がす公共工事の「談合事件」。いまだに数多くの大小ゼネコン、地域の各種業者の利権の温床となっています。そのゼネコンや業者も、公共工事が減少すると、生き残りの為に民間の戸建て部門を作り、大手の看板を最大限に利用し、販売します。リフォームも然りです。

これが、日本の「住まい作り」の正しいあり方でしょうか?

私はまともな動機の無い所に、まともな成果は生まれないと確信しています。

 

私自身、この仕事を、約30年続け、やっと新築を作る時の自分の考え方ができました。

新築専門のN社やS社、D社の人よりも、その建築物の弱点・欠点を知っていると思います。そしてそれは、いわばマイナスの教訓として、私たちの家作りに反映されます。

10年後に自分の建てた家がどうなっているのか知らない、考えてもいない施工者・設計士・営業社員に、良い新築もリフォームもできるはずがないのは当然の事です。

私は業界経験者の社員を採用する際も、それまでの経験を評価しません。

今まで自分がやってきた仕事を積極的に否定できる事を採用条件としています。今までの仕事を否定すると言う事は自分自身を否定されているかの様に感じられる方も多く、北斗建装にとって有能な人物を探す事は、困難なことでもあります。

大事なのは、過去では無く、これから何をしたいかです。
人が一生を暮らす「家」を作る事をどう考え、実行できるかという事だと思います。

 

Q3, 工務店経営者でありながら、何故「塗装職人」になる選択をしたのですか?

この事は、お客様や周りの友人等によく聞かれます。「何故、工務店の経営者が、一塗装職人として現場で実際に作業する事をえらんだのか?」と。

この答えも、やはり長年、建築という仕事に取り組み、家の成り立ちを考え続けてきた結果であると言えると思います。

一口に建築の「職人」と言っても、大工や左官、板金、建具職人など、多くの職人が一軒の家を建てるために必要とされるのですが、その中から、確固たる理由を持って、塗装職人になろうと決めたのは、私が40歳も超えた頃でした。

私は、大手総合資材メーカー勤務、大手ハウスメーカー勤務、工務店経営を通し、開発者と使用者、両方の視点から現場を見てきた者として、ある大きな疑問を感じていました。

どのメーカーや工務店も建築において、
非常に大切な最後の仕上げである「外装」を、あまりにも軽視し過ぎているのではないかと。

 

何故、その家を長い年月から守る「外装」の大切さに、メーカーや工務店が気付かないのかが不思議でなりませんでした。塗装職人は「ペンキ屋」と呼ばれ、職人(多様な知識や高い技術を持つ熟練工という意味)の内に入らないと言うのが現状です。

現実に新築時、仕上げの外装材と言えば、防水性の無いリシンか、効果の薄いボンタイル(アクリル吹きつけタイル)という塗装仕上げ、最近ではサイディングが殆どです。

坪30万の家でも坪100万の豪邸であっても、営業マンが持ってくる仕上げ材の選択肢は2〜3種類、良くて数種類といった所でしょう。
主な塗料メーカーだけで40〜50社、その上塗り仕上げ材に限定しても、百種類は下らない豊富な選択肢があるにも関わらずです。

塗装の場合は大半が化学物質である為、多様化した外装下地材に適した塗料の選択には、ある程度の化学知識が必要になります。もちろん、その塗料を開発するメーカーには、専門知識を持った研究員や技術者がいて、開発を日夜進めています。

しかし、それを実際に使用する施工者側にそれを理解できる知識を持った人材があまりにも少ないのです。

設計士、工務店の経営者、現場監督さえも、正確な知識が無いまま何十年も前に主流だった塗材を、現在も新築工事にそのまま使っているのが現状です。

その為、建築後10数年経つと(今では10年すら持たないケースも多々ありますが・・・)外壁や屋根の「塗り替え」をしなければならない状況になり、その家を建てたメーカーなり工務店が「そろそろ、塗り替え時期になりましたので、お見積りをしましょう」と、堂々と営業をしてきます。

その「塗り替え」にした所で、下請けの塗装業者が、実際の現場状況や経年変化、塗料の性能や適合性を考えないまま、あらかじめ決められた塗装仕様や、知識の無い元請け業者の指示通りに工事を行っている現場が本当に多いのです。

私は好奇心旺盛なものですから、他社の塗装現場があると車を止め、そこで作業している塗装職人に、今、塗っている塗料はどのような塗料なのかという質問を、よくするのですが、まともな答えが返ってきた事が殆ど一度もありません。

現実には、それら新築時の矛盾を解消し、様々な外装材に対応する優れた塗料がここ20年で数多く開発され、使用されています。

そういったリアルタイムの知識や技術を、指示する側も、施工する側も、学習する気も時間も無いというのが現状でしょう。

又、そのような真新しい塗料が発売されると、訪問販売系の会社がお客の目先を変える為、セールスポイントの一つとして、強く勧めるケースが多々あります。
金額が高い理由になるからであり、そうしなければ、大量の使い捨ての営業マンを使ったり、社長が乗る高級車を維持できないからです。 

多少表現が乱暴だったかもしれませんが、
私は現在の業界のそのような現状が単純に嫌いですから、変えて行きたいと考えています。

 

その為には、まず自分が実際に現場で材料に触れ技術を磨き、お客様とその家と直に対話しなければならないと考え、塗装職人になる事を決めたのです。

ただ一つ言っておきたいのは、現場でただ作業する事が過大に捉えられる事は意味が無いと思ってます。

建築という業種においては、技術や知識は体で覚えると言う事が勝ちすぎています。基本的な知識が無い事には何事も広がらないし、深めてもいけません。

よくお客様に現場で辛い環境の中、よく頑張るね、偉いね、というような意味合いのことを言って頂く事が、私もウチの職人にもあるのですが、私はそれを少し違うと感じています。

そのお言葉自体は非常にありがたいのですが、それは建築を仕事にし、お金を頂いているからには当たり前のことであって、その工程や材料が持つ意味を考え、理解し、高い判断力や知識に裏打ちされた仕事をする事もプロとしてあたり前の事だと考えています。

私一人が、その家にとって非常に重要である「塗装」の職人になっても、この風潮や体制が大きく変わることは無いかもしれません。

私が指導できる職人の数はごく限られた人数ですし、大変な労力と時間を要する複雑な職種だからです。

専門的学習を究めたメーカーの研究者が開発する新たな塗料と、それを実際に施工する塗装職人とのギャップを埋める為には、工業高校や専門学校等で「塗装工事科」を設け、正しい知識と技術を持ったプロフェッショナルを育てる必要があると考えています。

このような風潮は現在、あらゆる業種に対して言えることではないでしょうか。

パンを焼いているとパン職人に見えますし、自家焙煎コーヒーと言えばコーヒーのプロに見えます。
その実、パンを焼くのに必要な発酵の知識や、コーヒー豆の持つ特性を知らないといった事は当たり前の事のようになっています。

建築は・・・言わずもがなと言ったところでしょう。

私が、建築という仕事に本気で取り組む中で、塗装職人になることを選んだのは、その様な矛盾が最も顕著な分野だったからです。

 



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